好きといわれて舞いあがる

【好きといわれて舞いあがる】

いじめられっこだった私が

中3の時

「笑ったらかわいいやん」と

同級生にいわれて

それまで「いんけん」と

いわれてたのを

「笑えばいいのか」と

いつでもニッコリするようになった

すると

憧れてた人と話せるようになって

卆業すると

後輩の男の子に5人程告白されて

それも中学では上の教室で

牛乳やチョークをなげて

なじってた孑

「好きです、付きあって下さい」

この言葉はホント強烈

たまたま

1人じゃなかったから

選べる立場だったから

好きになったと

勘違いしなかったけど

なんか

舞い上がってたと思う

高校生になって

放送部の1年先輩に

目がハートになった

これが44まで恋心をもった最後

昔なら「ムリムリ」と諦めたものを

まいあがりから少しだけ期待することを覚えた

するとバイト先で

5人の子と一緒のクラスだった子

と一緒で

毎日のように告られた

「憧れてる先輩がいる」

というと

「その人と付き合うようになったら

あきらめるから」

と言われ

今思えば、相手のことよく知らずに

「好きだ」という言葉が

気持ちより前を歩いて

まるで

自分のいいなりになる人みたいに

思ってた気がする

自転車で15kmくらい

学校まで2人乗りで

送ってくれた

毎日会うけど

何も手出しはされなかった

そして9月、

先輩に誕生日プレゼントを送った

私も9月生まれで

小さな花束もった先輩が

9月22日生まれの本をもって

「天神にでも遊びにいこうか」

と誘われた

信じられない幸せだった

彼に伝えて別れ

先輩と付きあうようになった

若い日々の絶調期

けれど頂点にのぼると

つきおとされるのが人生

継母と

家族と旅行にいったこともある

「おじさん」

の生浮気現場を見てしまった

気づかれてはないが

下にある「おじさん」の車を

蹴飛ばしてやりたかった

継母30くらい

「おじさん」20代くらい

男と女ってあんなことするんだ

実父がかわいそうだった

朝6時から夜中3時まで

ねる間もなく働いてるのに

そうすると

悪いことは重なる

先輩の取り巻きだった4,5人の

女の子たちが

私が男の子の後ろにのって

学校にきてた

先輩は騙されてると嘯いた

先輩は

「自分に嘘をついてはいけないよ」

とまるでフラれたかのような

態度で私はフラれた

何のいい訳もしなかった

絶調からどん底におちたら

何もかもがどうでもよかった

その女の1人は先輩と腕をくんで

学内をあるいてた

私に不敵な笑みをむけて

普通に帰ろうとしたら

知らない女たちに囲まれた

私はケンカになぜか強いのを

知ってたから

弱い女たちには手をださず

ボコボコにされた

そのすぐに

当時処女の私とやったという男

を否定したら

今度は男に囲まれた

これは5分で全滅

身長的にふところに入れるから

楽勝

組長の孫の血だろうか

さておき

良いことのあとの悪いことが

「多すぎ」

と思ったので

あんなシーンを見たのもあって

恋する気はすっかりなくなった

その後復活した前彼とも

したい顔されるのイヤだったし

西日で倒れた意識のない私に

ファーストキスを奪われて

どーでもよくなって

下着もレースにかえて

「はじめて」をあげた

期待しなくなると

人生ってスケートのように

なめらかにすすむ

「好きだjといわれて

舞い上がらなくなった

相手を先に観察するようになった

シンガーソングライターとして

何十人に待ち伏せされても

さめた目で笑えた

ブロダクションにも入り

すてきな人とも付きあえて

プロポーズされた時

「あ、絶調をむかえちゃいけない」と逃げたら

それが悪かったのか

拉致監禁男と脅迫男と26年も

愛のない生活を送った

自分に自信がないから

誰かが求めてくれるのが嬉しい

その人がどんな人かもわからず期待してしまう

淋しかったから嬉しかったのか

それがなかったら

拉致監禁男とも脅迫男とも

一緒にならずにすんだんだろう

好きだといわれて

最初はイヤじゃなかった

むしろ嬉しかったから

ひっかかってしまった

容姿も中身も好みでも

なんでもないのに

人生には絶調をむかえれば

逆にドン底をすぐに味わう

いいことがあれば

そこにはたくさんワナがならんでる

ただで喜ばせてくれるのは

子供の誕生と成長くらい

ほんとにありがたい

けどただでもらうと

今度は「慣れ」てありがたみを失う

好きだといわれたら

まずは両方の回りをみなきゃ

そんなカンタンにロにできる人に

自分の好みの人が都合よく

現れるわけないやん

自分の好きな人に「好き」って

いわれる以外

どんな人に「好き」っていわれても

意味がない

なのに

ちょっと告白されたからって

何がうれしいのさ

それはモテるではないし

自信のない自分をうめてくれる

わけでもない

ただ人生のおとし穴に

ひっかかっただけ

楽しいこともなく

ただひたすら自分に嘘を

つきつづけるだけ

そんなのにひっかからずに

自分に自信をつけるには

どうしたらいいのか

何にしても

「よく見る」につきる

そして

人の先入観や「常識」、「普通」

人の美意識など自分が考えて

思うことにふりまわされないこと

軽く「好きです」と言われることは

オスがメスのために

他のオスと戦ったり

ダンスしたりするより軽い思い

だから

メスにではなく

「心に響く」

良いことに聞こえるが

良いことではない

本人の本質を考えず

心の「妄想」がはじまってしまう

妄想だから相手の善し悪しなんて

関係ない

恋しい気持ちも

格好いいと思う気持ちも

淋しい気持ちも

すべて美化されてるから

そこにはその「妄想」が消える

不安しかない

涙がでる

彼の居場所を知りたがる

ウザがられても

全くひびかない

自分に都合のいい「妄想」

だから認識もうすい

そしてフラれても

その妄想が続き

その人しかいないと思う

妄想の中の主人公は彼だけだから

こんな私を好きだと言ってくれた

そこからの妄想は

全てを失わせる力がある

まずこの妄想をなくすことが

自分も人も「よく見る」ことに

つながる

前にもいったように

美人は逆に不幸

スタイルは自分で作るもの

性格は自分を認められるかどうか

「だけ」が問題

仕事や料理がうまくできた時

自分のことをどう思う?

「できるやん」

とうれしくなるでしょ

その気持ちが大事なんだよ

好きな服がうまく着れた時

まゆげがうまく書けた時

その嬉しさ

泣いてる友人をうまく励ました時

父母の子に生まれてよかった

と思えた時

感謝できた時

そんな時に

「自分を好き」になればいい

他の時に自分を見つめるから

「自分なんか」と思えるんだよ

私なんて

ブサイクでデブで

歩けないし

髪はうすいし

バアさんだし

けなしたらきりがない

けれど

そういう時に自分を認めるから

仲間を堂々とはげませる

そのためには

まず

「誕生日には祝おう」

最低でもケーキは用意しよう

誰もいわってくれなくても

自分からでいいから

プレゼントしよう

1年に自分だけに用意された1日

母が苦しんで産んでくれた日

自分が一番大事に思われた日

まずはそれからはじめて

父の日と母の日

子どもの日、敬者の日を祝おう

その時、目上の人には

「電報」をプレゼントを添えて

「自分の言葉で」おくろう

それを送る人がいなくなった時が

自分が目上になった時

その時に自分をすなおに

ほめられたら

きっと回りに幸せが

いっぱいあるはず

自分を好きになる努力もしないで

不満ばかりためるから

好きでもない人に

「好き」って言われてまいあがる

自分をだまして生きてて気づかない

そんな生き方をかえていこうよ

自分でケーキを買って

祝ってよかった

生まれてよかった

「愛してくれてありがとう」って

心から思ったよ